北斗の拳生誕30周年記念特別インタビュー

北斗の拳生誕30周年記念特別インタビュー北斗語り北斗語りとは

日本マンガ史にその名を刻む名作「北斗の拳」が2013年、連載開始「30周年」を迎える。
この記念すべき年を意義あるものにすべく、原作の公式親善大使が豪華ゲストを迎えて対談。
これまで語られてきた北斗、語られていない北斗。
北斗に魅せられし者たちが届ける大型新連載、愛深きゆえに行われる。

西村繁男

西村繁男

VOL16西村繁男

北斗が始まる前のジャンプはね、

苦しい時期だったんですよ。

──それでは西村さん。連載当時のお話をさせていただきます。思い出深いエピソードや裏話など、いろいろあると思うのですが。

北斗が始まる前のジャンプはね、 苦しい時期だったんですよ。サンデーがラブコメ路線で売れてて、そうなるとマンガの流れもラブコメが主流になりますからね。ジャンプもその風潮に追われてる感じでしたよね。

──僕は当時9才。ジャンプしか読んでいなかったので、そういうマンガ界の流れは知りませんでした。

世間がそういう流れだから、集まってくる新人の作風も、ほとんどラブコメだったんですよ。

──やはり、流行のスタイルを取り入れるというのが基本…という。

それでね。アタックとディフェンスという考え方があってね。他誌なら他誌でヒットしたもの。それに類似した作品をぶつけるのがディフェンスになるんだけども、ジャンプもそういう方向性で行こうという空気があったのは事実なんです。

──つまり、ラブコメ路線のマンガを前面に打ち出していこうと。

そうそう。でも、ジャンプではラブコメをメインにしたくないと僕はずっと思っていたからね。そういう時に原さんが読み切りで北斗を描いて。

──まだ武論尊先生が関わられる前の読み切りですよね。

あれはね、原さんの画力を生かしたいということで、担当の堀江君(※2)が進めて作り上げた作品でしてね。

【※2】堀江信彦
北斗の拳の担当編集にして「週刊少年ジャンプ」の5代目編集長。物語の骨子となる北斗神拳のアイデアを考案した人物で、北斗の拳における第三の作者とも言われている。2006年から制作された真救世主伝説「北斗の拳」の脚本なども担当。

──たまたま入った書店で中国の医学本を見て、秘孔というものにインスピレーションを受けた。それが北斗神拳というアイデアに…。

そのアイデアも良かったんです。でも僕はね、とにかく原さんの絵が好きでね。才能を感じたんですよ。

──こんなスゴい絵を描く若者がいるのか…という感じですか?

原さんが北斗の前に連載した「鉄のドンキホーテ(※3)」。これは10週で打ち切りになったんだけど、その後に北斗が出てきて。とりあえず読み切りという形で増刊に載せたら感触が良くてね。そこから「これは連載でいこう」となったんですよ。

【※3】鉄のドンキホーテ
1982年~1983年にかけて「週刊少年ジャンプ」に掲載された原先生の記念すべき連載デビュー作。当時の流行であったモトクロスを題材とした作品であったが、残念ながら大ヒットには至らず10週で終了。ただし、後に執筆することになる北斗の拳の読み切りが同作の単行本に掲載されたこともあり、結果的に原哲夫マニアの間では有名な作品となった。

──たしか、最初に読み切りでやって読者人気があって、もう一度、読み切りを載せたらまた人気があって。

結果を出しましたからね。ただ、原さんの絵。これだけ描き込んでる作品なわけだから、ストーリーまで考えさせるのは無理だろうと。

──とにかく、ひたすら描くことに集中させたかったんですか。

そこで原作者を立てようという話になって、最終的に武論尊さんにお願いすることになったんだけど、よく引き受けてくれたと思いますよ。

──それは、どういう意味ですか?

すでに主人公の名前とかキャラクターが決まってるじゃないですか。北斗神拳という根本的なアイデアも。

──なるほど。本来、原作者にとっては最も腕の見せどころである物語の骨子が決定していて武論尊先生が引き受けてくれたのは異例でもあると。

結果として、世紀末の世界からスタートするというのは武論尊さんのアイデア。その舞台設定が大ヒットの要因になっていったからね。

──第1話のキノコ雲(※4)。あれは本当にインパクトがありました。

でも当時は、まだラブコメ路線が主流じゃないですか。そのムードを北斗が完全に変えてくれました。そういう意味で言うと、当時の編集長だった僕にとって、北斗の拳は救世主の最たるものなんですよね。

【※4】
1983年9月26日号の週刊少年ジャンプ。北斗の拳の記念すべき第一話が掲載された号であり、表紙と巻頭カラーを飾った北斗の拳は、圧倒的画力で描かれた1ページ目のキノコ雲で読者に強烈なインパクトを与えた。日本マンガ史に大いなる一歩を刻んだ瞬間であると同時に、日本マンガ史に残る名作が誕生した号だった。

──あ~。なるほど~。世紀末救世主伝説と称された作品は、同時にジャンプにとっての救世主でもあったというわけですね。なんか、ジ~ンと来ます。北斗の拳という作品に流れる宿命の血がそんなところにも。

それまでの数年間、300万部という発行部数のまま伸び悩んでいたんですよ、ジャンプは。でも、この作品によってそれを脱却して、400万部に到達できた。そのきっかけとなった作品ということで、非常に感謝もしているし、思い出深い作品ということになりますよね。

──いまだと300万部でも大事件ですけど、それを100万部も増やしたというのは奇跡的ですね。

ちょうどベビーブームのころで、これから成長していく過程にあった団塊ジュニア世代(※5)。そこにまっすぐ届いた作品でしたよね。

【※5】
1971(昭和46年)から1974年(昭和49年)までのベビーブームに生まれた世代を指す。厳密には「第二次ベビーブーム世代」で、1971年から1974年までの出生数は200万人を超え、1973年の209万1983人がピークとなった。なお、昨年2013年の出生数は103万1千人。統計の残る1899年以降で最少だ。

──まさに僕の世代ですね。

兄弟がいれば一家に2冊とかね。そういう意味では恵まれていた時代かもしれないんだけど、やっぱり根底にあるのは作品の力なんです。