北斗の拳生誕30周年記念特別インタビュー

北斗の拳生誕30周年記念特別インタビュー北斗語り北斗語りとは

日本マンガ史にその名を刻む名作「北斗の拳」が2013年、連載開始「30周年」を迎える。
この記念すべき年を意義あるものにすべく、原作の公式親善大使が豪華ゲストを迎えて対談。
これまで語られてきた北斗、語られていない北斗。
北斗に魅せられし者たちが届ける大型新連載、愛深きゆえに行われる。

森田まさのり

森田まさのり

VOL14森田まさのり

押忍。ガル憎です。今回の語り相手を見て驚いた人…かなり多いのではないでしょうか? 北斗について語るというより、ご自身の作品について語ってほしい。そんな気にもなってしまいそうな、漫画家の森田まさのり先生(※1)。なにを隠そう同氏は、かつて「北斗の拳」のアシスタントを経て、漫画家としてのデビューを飾った経歴の持ち主。アシスタント時代に見た原先生、北斗から得たもの…。しかと語り合います。

【※1】森田まさのり
1966年12月22日生まれ。滋賀県の栗東市出身。血液型=O型。高校在学中に投稿した作品「IT’S LATE」が、手塚賞佳作に入選。後に「フレッシュジャンプ」に掲載され漫画家デビューを果たす(当時の名義は本名の森田真法)。タイガースファンで同氏の代表作でもある「ROOKIES」では登場人物に選手の名が使われた。

──ガル憎(以下略)先生。今日はよろしくお願いいたします。

森田まさのり(以下略)。はい。

──僕は「バチあたり」から読んでるんで(※2)、本来ならそこからの話を聞きたいのですが…今回は北斗に絞らせていただきます。

【※2】バチあたりロック
週刊少年ジャンプのデビュー作。1987年掲載。実家が浄土真宗本願寺派の寺院であることを生かした作品で「ろくでなしBLUES」の原型となった名作。集英社から発行されている作品集などに掲載されており(現在も発売中)、正式表記は「BACHI-ATARI ROCK」。ファン必見の“初期森田ワールド”…しかと読むべし。

あはは。大丈夫です。僕もそのつもりで来てますから(笑)。

──ありがとうございます。では早速ですが、先生がアシスタントを務めていたのは、連載時期でいうとどのあたりになるんですか?

レイとユダの闘い。ふたりが水浸しで闘っているところですね。コマク様がダムに毒を入れようとしてケンシロウに倒される回(※3)。

【※3】
ユダの手下。マミヤが死兆星を見ていることをユダに報告した後、ダムを決壊させてレイを劣勢に追い込む。だが決壊した水に毒を流し込もうとしたところをケンシロウに目撃され失敗。その毒を飲まされ、吐こうとして指を突むもケンシロウに蹴り飛ばされ、自らの手を後頭部に貫通させて絶命。クセのある名脇役キャラのひとり。

──おおお! めちゃめちゃ濃いところじゃないですか! しかもコマクとか名前も覚えてらっしゃるんですね。

覚えてますよ。客観的に見ても、本当に盛り上がってる時期だったので。

──そこから、どのあたりまで?

ラオウが昇天する週までです。

──ええええええ!そんなに長く! というか羨ましいです。そんな濃厚な時間を原先生と過ごされたなんて。

ええ。それは、いまになって振り返っても本当に光栄な時間ですね。

──ちなみにアシスタントになった経緯は? 原先生のアシスタントとなると相当なハードルが…。

いや。それが…なんというか。嘘みたいな展開だったんですよ。

──と言いますと?

まず、実家がお寺なんですが、漫画家になりたかったので「4年間だけ東京に行かせてくれ。その内に必ず連載を取るから」と親にお願いしたんですよ。それで、最初の1年はアシスタントをやろうと決めて。

──その話を聞くと、バチあたりから「ろくでなし」に進みたくなりますが我慢します(笑)。続きをどうぞ。

じつは、最初は北条先生のところに行ったんです。自分が描くタッチに似ていたので、ここで鍛えてもらいたいなと思って。でも「アシスタントは足りています」と断られて。

──そこからどうやって原先生に結びついたんですか?

諦めて帰ろうとしたら「原先生のところはどう?」って。どうやらアシスタントが足りなかったみたいで。

──当時、北斗は読まれてました?

もちろんです。だから死ぬほど嬉しかったんですけど、僕で大丈夫なのかなって。ところが、当時の原稿を見てもらったら「これなら大丈夫じゃないか?」と。それで決定です。

──北条先生のタッチに似ていたということは、そもそもの画風は原先生と違いますよね?

ぜんぜん違います。僕は手塚先生みたいなタッチだったんですよ。割と読んだ物の影響をすぐ受けちゃうタイプで、最初は手塚先生や藤子不二雄A先生みたいな絵。そこから小林まこと先生(※4)が好きになって。

【※4】小林まこと
1958年5月13日、新潟県新潟市に生まれる。大のプロレス、格闘技好きで高校時代は柔道部に所属。代表作「1・2の三四郎」「柔道部物語」などの代表作にもその影響が色濃く反映されている。これらの作風とは異なる名作「What’s Michael?」は海外でもヒットを飾り、1987年には第10回講談社漫画賞一般部門を受賞。

──あ~。いわゆる「漫画!」って感じの絵ですね。でも、森田先生の作品を見てると違うどころか原先生と似てる。劇画タッチというか線を描き込むあのリアルな描写が。

ええ。原先生のアシスタントになったら仕事場に参考資料みたいな感じで漫画がいくつかあって、その中に谷口ジロー先生(※5)や池上遼一先生(※6)の作品があったから読んで影響を受けて、軸となった原先生の絵にそういうのが混ざって自分の画風が仕上がった感じですね。

【※5】谷口ジロー
1947年8月14日、鳥取県鳥取市に生まれる。1971年に「嗄れた部屋」でデビューを飾り、その後アシスタント業を経て独立。青年向けの漫画シーンで様々な分野の作品を手がけ、その才能を発揮。テレビ東京系列で2012年からドラマ化された「孤独のグルメ」で再注目を浴びる。なお、同作は1994~1996年の連載作。


【※6】池上遼一
1944年5月29日、福井県越前市に生まれる。大阪芸術大学キャラクター造形学科教授。代表作として「男組」や「HEAT -灼熱-」などが挙げられ、後者は小学館「ビッグコミックスペリオール」で長期連載された人気作品であると同時に、その原作者は武論尊先生。同作は2001年に第47回「小学館漫画賞受賞」を受賞し2004年2月には映画化もされている。劇画漫画の代表的人物。