北斗の拳生誕30周年記念特別インタビュー

北斗の拳生誕30周年記念特別インタビュー北斗語り北斗語りとは

日本マンガ史にその名を刻む名作「北斗の拳」が2013年、連載開始「30周年」を迎える。
この記念すべき年を意義あるものにすべく、原作の公式親善大使が豪華ゲストを迎えて対談。
これまで語られてきた北斗、語られていない北斗。
北斗に魅せられし者たちが届ける大型新連載、愛深きゆえに行われる。

名越康文

名越康文

VOL06名越康文

──ちなみに、僕が始めたこの連載の目的のひとつに『伝承』というのがあるんです。北斗の拳という素晴らしい作品を後世に残すための力添えをしたいという。なにか先生の中にもありますかね? 北斗をこう読んでほしいみたいな想いとか。

う~ん。そうですね…。ずっと同じ感覚で読み続けるんじゃなくてね。物語の時代、世紀末の荒廃した大地。それが目の前に広がっていると思って読んでほしいですね。

──あ~。なるほど。家で読んでるとか電車で読んでるとか、そういうのを完全に消して、北斗の世界観に入り込むということですね。

そうです、そうです。砂ぼこりが舞い地平線が見える世界にね。そこに自分を置くと、北斗の拳の中にある風を感じるでしょ?

──うんうん。いいです、それ。

たとえば人物じゃなくて背景を見るんです。北斗の拳の背景の描き方ですごいと思うのは、純粋な自然がほとんど出ないところ。倒れかけのビルとか薄汚れた小屋とか廃墟が多いでしょ? でも、そこには人間の匂いがするんですよ。

──かつてそこには文化や生活があった…と。

そう。核戦争後だから、そこに生きてる人間は全体の数パーセントなワケですよね。残りの多くの人間は亡くなってしまった。その人たちの匂いが残っている廃墟だったり、そういう景色の中で、生き残った人間が最後の闘争を繰り返している。そういう景色だけでも、北斗の拳の物語が濃厚に語られてるんです。意図的に描き込まれていると思うんです。

──たとえばミスミの爺さんの話であれば(※7)、それこそ崖の上からジードに追われてるミスミの爺さんを見ているような感覚で読む。

【※7】
今日より明日。多くの村人のために種モミを探し続けたミスミ氏。苦労の末に種モミを発見し村に戻るが、ケンシロウがその村を去った直後にシンの手下であるスペードが部下と共に村を襲撃。これによってミスミ氏は命を落としてしまい、種モミと村の未来はケンシロウに託された。

そうそう! まさにそうです!

──レイが最期を迎える時、先生があの小屋の前にいたように。

そう! そう! だから…やっぱり悔しいんですよ、ガル憎さん!

──え? どうしました?

だからもう、なんで拳王は指一本でレイをね。僕の好きなレイを!

──あはは。話が戻りましたね。でもアレですよね。ジュウザなんかはラオウに関節技を決めてますしね。

そうや! 南斗水鳥拳より五車星の方が強いん? 五車星は拳法家の集まりじゃないでしょ? あんなもん、白雪姫の七人の小びとですよ。腕だけとは言え、そっちの方がラオウを苦しめたとかアカンよ!

──先生。興奮のあまり関西弁になってますけど(笑)。

あ~ごめん。ごめんなさい。でも僕は悔しくて悔しくて。あ~もう!

──分かりました。原先生と武論尊先生に会ったら伝えておきます。

お願いします。だって、あんな簡単にレイがね。考えられへん、もう!!

専門家ならではの視点と読み解き これまでに無い解釈が誕生
北斗ファンという共通点の前に、名越先生とは純粋に「じっくり話してみたい」と思っていた。それがこのような形で実現、しかも「個人レベルの妄想を超えた読み解き」という次なるステージに誘ってもらえたことは、我が北斗人生における大きな財産となった。語らいの最後、先生に「僕の何倍も北斗の拳を読み込んで、北斗の拳に人生を捧げている貴方に評価してもらえるのは本当に光栄です」と言われた時…。滅相もございませんと全否定したが、北斗の拳を愛して本当に良かったと思えたし、我が道を信じられたし、泣けた。

語らいの中で名越先生が使い続けた決して忘れることのできない言葉
なにが忘れられないか。それは、原作で描かれていない部分などに話が及んだ時、先生が「メインストーリーでは描かれていないけど」という言葉を必ず付け加えていたこと。原作で描かれていたのは壮大な物語の一部。それを一寸の迷いも無く言える先生を、私は心から尊敬した。

Interviewer ガル憎
フリーライター。1974年1月4日、広島県に生まれる。北斗の”第一世代”とも称される生粋の団塊ジュニアかつ原作の公式親善大使で、広島東洋カープファン。原哲夫らとの交流も深く、映画「真救世主伝説 北斗の拳 ZERO ケンシロウ伝」のエンドロールにも名を刻む。好きなキャラクターは、トキ。