北斗の拳生誕30周年記念特別インタビュー

北斗の拳生誕30周年記念特別インタビュー北斗語り北斗語りとは

日本マンガ史にその名を刻む名作「北斗の拳」が2013年、連載開始「30周年」を迎える。
この記念すべき年を意義あるものにすべく、原作の公式親善大使が豪華ゲストを迎えて対談。
これまで語られてきた北斗、語られていない北斗。
北斗に魅せられし者たちが届ける大型新連載、愛深きゆえに行われる。

名越康文

名越康文

VOL06名越康文

──さて。レイ、あるいはケンシロウについて本当に深い読み解きをしていただきましたが、逆に、精神科医という立場から見て、読み解き不能と言いますか、コイツだけは分からないというキャラはいましたか?

分からない……。カイオウかなあ。

──おお! ラオウの兄。どういったところが分からないんですか?

なんて言うのかな。彼の執念とか闘いの根拠が底知れなくてね。あまりにも底知れなくて分からなかった。

──あ~。なるほど。悪に徹しているとか、そういう部分です?

ラオウとの関係性の中に、ひとつの鍵がありそうだなと。そういう風には思ったんですが、メインストーリーというか、つまり原作の部分で克明に描かれてなかったから、そういう意味では謎の人物というかね。

──原作で描かれているバックボーンだけでは分析し切れない?

彼自身の性格というか。だって、魔道に落ちてるでしょ?

──ですね。ケンシロウやラオウの場合は闘気だけど、カイオウの場合は魔闘気ですもんね(※5)。

【※5】
「魔道の道」として虐げられ、1800年もの間、北斗神拳の陰で歴史から抹殺されていた北斗琉拳。その究極の到達地である魔界に進んだ者のみが発する独特の闘気こそが魔闘気。しかし、この魔闘気を発する魔界に入ると「愛する者にさえ手をかけてしまう」という暴挙に出るほど、自らを失ってしまう。まさに諸刃の剣だ。

なんかね、自身の魂を犠牲にしてまで求めた強さって、どういうものだったんだろうと。

──カイオウが歪んでしまった理由はサウザーと似てる部分がありますよね。業火の中にいるケンシロウとヒョウを救うため、母親が身を投じて犠牲になった。それは北斗琉拳の宿命と愛を説くための行為だったんだけど、その悲しさに耐えられなかったカイオウは、情愛に打ち勝つものは悪だと考えるように。

そうですね。愛する人を失う、愛を失う時の苦しさ。それを二度と味わわないために愛を捨てましたよね。

──ただ、そこに想像を絶する憎悪が加わって、より歪んでしまった。

でも、そういう中で求めた強さとは果たして、なんなのだろうか?

──なるほど。

強さというのは、同じ土俵だからこそ比べられるんですよ。たとえば武道だと、畳の上で『始め!』と言われて、確固たるルールの中で闘うから強さが分かるんです。逆にこれが武術になると、それこそ後ろから鈍器で殴って勝ってもいいワケじゃないですか。

──はいはい。

別に武術が悪いと言ってるんじゃないですよ。でも、武道と武術の違いはそこ。武術の場合は後ろから攻撃される隙を見せたお前が悪いんだと。こうなるんですね。

──あ~。なるほど。勝利至上主義なのかルールの中で闘うのか。

そう。そのどちらであるかによって強さや弱さの概念は大きく変わってしまいますよね。

──まさにジャギですね。勝てばいいんだと銃や含み針を使う。ケンシロウは使わない。仮にジャギが銃でケンシロウを撃って勝っても、それは強さなのかどうか。

そういうことです。だからカイオウが出てきた時に、ラオウやケンシロウの闘い方が、少しスポーツ的にすら見えたんです。

──つまり、武道的に…ですね。

さあ来い。いくぞ。というね。でも魔闘気は武道じゃない、かといって武術でもない。もう、言うならば魔物なんですよ、あの状態というのが。

──これまでの、人間同士の闘いという枠から出てしまったような?

そう! そういうこと! 違う時空の人間のようで怖かったですね。

──リンに自らの子を宿すことを命ずるシーン。原作史上で最も短い名ゼリフ…『悪!!』(※6)。

【※6】
北斗宗家の血を引くケンシロウとヒョウが闘い、相打ちで共に息絶えると判断したカイオウは、北斗神拳の根絶、新たなる北斗琉拳の血を創り出すべくリンに自らの子を宿すことを命じ、最後に生き残るものは悪であると考えるカイオウに対してリンは「愚かな愛に生きる者が勝者となる」と強く諭した。

ありましたね。でも、なんか彼って悪の種類が違うというか、悪を選んだというよりは憑依ですよ、あれは。

──つまり、悪に乗っ取られてるような感じということですね。

ラオウの場合はエゴ。自分の前にも後にも人は無い。我こそが真の覇者なりという、巨大なるエゴ。でもカイオウの場合は突き抜けてて、もうそこにカイオウはいない。暗黒や闇や憎悪という、ある種の魔性しか存在していない。人間としての実体を成してない感じが強かったです。

──これまで僕は、個々が持ってる闘気の性質の違い。そんな感じでシンプルに考えてたんです。でも少し違うかもしれませんね。魔闘気は魔のような闘気のことではなく、魔に包まれてしまった闘気というか。

そうです。ラオウやケンシロウのように自我を持つ者から、自我があるからこそ発するのが闘気。でも魔闘気は逆で、それ自体が主になってその人間を支配している。巨大な憎しみ悪さや哀れさ。すべてに取り憑かれてしまってますよね、やはり。

──だからこそ、精神医学的に分析することが難しかったと。

憑依されてたらそれはもう人格じゃないんで、分析できませんよね。だからね、いまこうして話しててもカイオウは怖いですよ、僕は。

──精神医学という専門知識をもってしても読み解けない人物。

最後は人間の心を取り戻してくれたんで安心しましたけどね。

──いや~。カイオウ論、随分と盛り上がりましたね。

ははは。そうね。読み解きにくいからどうしても長くなりますね。