北斗の拳生誕30周年記念特別インタビュー

北斗の拳生誕30周年記念特別インタビュー北斗語り北斗語りとは

日本マンガ史にその名を刻む名作「北斗の拳」が2013年、連載開始「30周年」を迎える。
この記念すべき年を意義あるものにすべく、原作の公式親善大使が豪華ゲストを迎えて対談。
これまで語られてきた北斗、語られていない北斗。
北斗に魅せられし者たちが届ける大型新連載、愛深きゆえに行われる。

名越康文

名越康文

VOL05名越康文

毎回毎回、新しい発見、新しい考え方が湯水のように湧き出て、本当に楽しくて仕方のない当連載。対談者の方々にはそれぞれの価値観や独自の目線というものがあり、それを改めて話すことによって、右で述べた新しい発見や新しい考え方が生まれているのだと自分は思う。そんな中で迎えた今回の語り相手はテレビなどでも活躍されている精神科医の名越康文先生(※1)。じつに興味深い話が聞けそうだ。

【※1】名越康文
1960年6月21日、奈良県に生まれる。精神科医という堅いイメージとは裏腹な明るいキャラクターで、テレビを筆頭に幅広いメディアで活躍。精神科医から見た映画・音楽評論なども行い、近年は、精神科医というフィールドを飛び越えマンガの原作ブレーンに参加するなど、活動の幅を積極的に広げている。京都精華大学特任教授。

ガル憎(以下略)──それでは本日はよろしくお願いします。

名越康文(以下略)こちらこそ。久しぶりに北斗の拳について話せるんで楽しみです。

──早速なのですが、先生は『週刊コミックバンチ』で北斗の連載をされていたことがありましたよね?(※2)

【※2】
週刊コミックバンチ誌上で2009年41号~2010年32号まで『北斗神話の深層心理カルテ~北斗神拳とはなんだったのか~』を連載。原作に見え隠れする執筆当時の作者深層心理から“北斗の正体”をあぶり出すという趣旨でスタートし、キャラクターの細かなセリフなどからも心理分析を行い好評を博した大人気コラム。

ええ。というのはね、納得できないものが多過ぎるんですよ、北斗の拳の分析や回顧録って。21世紀的な常識から人間像の幅を決めたり社会像の幅を決めてる気がして、それが北斗の拳という素晴らしい作品を小さくしてるように思うんです。もっとすごい物語なのに。だから僕は、そのきっかけ作りをしたいと思ってバンチの連載をやらせてもらったんです。

──世間に溢れるありきたりな分析じゃダメ。それ、僕も同感です!

ですよね。北斗の分析というのはプラスαがないとダメなんです。ただ読んで熱く語るのが悪いとは言いません。言いませんが、それだと単なる妄想で終わるんです。でも人間が育つには環境があって、人間関係があって、社会構造があって、個人があって家族がある。このあたりは世界共通の基盤でしょ? そういう、ある程度「構造化」された中で北斗に登場するキャラクターたちはどう生きたのか。どういう風に性格が形成されたのか。そういうところまで踏み込まないと。

──妄想だけで終わらせていい作品じゃないんだぞと。

テレビで『ケンミンSHOW』やってますよね? そこで出演者の性格の背景となる部分が分かったりすることあるじゃないですか。この人の魅力って大阪生まれだからか。なるほどこれは愛知県のノリなんだな、とか思うことありますよね?

──あ~。たしかに。この性格はあの出身地だからか~。妙に納得する場合ありますよね。つまり、単に原作で描かれている部分だけではなく、描かれていない部分も考える。

そうです。日本のマンガはキャラクターが優れているから、表面的な部分を語ってるだけでも満足できちゃうんですよね。でも、平家物語とか古事記って、いろんな読み解き方をするじゃないですか。僕はそれくらいのレベルまで北斗の拳を掘り下げたいし、それだけの価値も深みもある壮大な作品だと思うんです。

──たとえば今日。もし現代にラオウがいたら、あの考え方だったかどうかは分からないと。

そういうことなんです。妄想っていうのは、その人が生まれた環境や生い立ちの反映ですから。妄想は個人レベルに過ぎないんですよね。

──考え方の裏付けが個人、その人の性格の中だけにしか無いと。

たとえば幼き日のラオウ、トキ、ジャギ、ケンシロウというのは、それぞれが、それぞれにどういう影響を与え合っていたのか。その部分って深く分析されてないんですよ。

──ジャギはケンシロウに劣等感を感じている。でも、原作で描かれている以外にも、なにかあったんじゃないかということですよね。たとえばジャギはケンシロウとの闘いで南斗聖拳を使い、ケンシロウを驚かせた。つまり、少なからず拳法家としての才能はあったんだけど、それを凌駕する三人の天才兄弟が同時に現れたから卑屈になったのかもしれないとか。

その裏付け、どう卑屈になったかまで読み解けたら面白いんですよ。

──たとえば、シンがケンシロウからユリアを奪おうとしたのはジャギの策略によるものだった。それが原作で描かれてなかった場合、シンは単なる悪者で終わってしまうとか(※3)

【※3】
ケンシロウが北斗神拳の伝承者となり、さらににユリアまで手に入れたことを妬んだジャギは、昔からユリアに想いを寄せるシンに接近。暴力が支配する世紀末の中で「いまは悪魔がほほえむ時代なんだ」とシンをそそのかし、ユリアを力尽くで奪わせるという狂気の道に進ませた。

そうそう! そういうこと。愛に殉ずる男が、ジャギの策略によって自らの愛の形を歪めてしまった。それを知ると知らないとでは、彼に対する印象が変わるワケです。ジャギの策略であったことが分かったからこそ、シンの純粋さと不器用さが浮き彫りになり、読み手に伝わったと。